2011年12月11日日曜日

●自然即神
 その昔、「自然即神」。そんな考え方が普通にあった。しかし、いまはない。なぜなくなったのか?

その原因は「男」だ。男は、そもそも「ライオンのタテガミ」で、つまりは、女を引きつける「虚勢・ギャンブル(Gamble)」に過ぎない存在なのだ。

男には、自然という実体がトンとつかめない。それに対して「女」は、生理といい、妊娠、出産、子育てといい、女は、自然そのものなのだ。

そんな自然をカラダで認識できない男に、少なくともここ四千年、実権をユダネテしまっていた。その結果が、このザマだ。母なる自然を、ここまで破壊しつくしてしまった。そして、まだそのタテガミの示威行動は続いている。

男には、自然なんて、どうでもいいことで、つまり、自然は、自分のカラダ自身なんだという認識なんて、サラサラない。男にとって重要なのは、女を引きつけ、あわよくば、妊娠させ、自分のDNAを繋ぎたいという「虚勢」なので、死ぬまで、張り続ける。実に、単純で、ヤッカイな生きものなのだ。

⇒男の道楽と女の嘆き

2011年12月1日木曜日

結婚なんていらない!


●結婚制度の崩壊

 いま中国には、「閃(せん)婚族」とか、「閃(せん)離族」という言葉があるんだそうで、「閃光のごとく、すぐに結婚し」、「閃光のごとく、すぐに離婚する」らしい。

疾風(はやて)のように現れて、疾風のように去っていく。月光仮面か(笑)


70年代後半から始まった、ひとりっこ政策のこどもたちが成人し、結婚しては、離婚を繰り返しているらしい。ひとりっこ政策で、結婚して子供をもうけるのはいいけど、離婚して、再婚して、また子供をもうけて、また離婚して・・・

そんな事してたら、ひとりっこ政策の意味なかったんじゃないの?そう想ってしまうのだ。


ひとりっこだから、親の愛情を一身の受けて育っちゃった。

ひとりっこたちは、愛は受けるもの、独占するものだと、どうやら考えているらしい。

結婚に伴う、責任や義務は負いたくないし、必要な我慢も出来ない。だいたい、相手を思いやるココロが、まったく育っていない。そんなもの育てる必要もなく、みんな親がやってくれたからだ。

わがままさえいっていれば、何事も親が与えてくれる。わがままは一人前に覚えて、自己主張だけはできるけど、相手のいうことやキモチなど、とんと解らない。いや、解ろうというキモチさえない。

こんなのは、煮ても焼いても食えない。そもそも、彼らは結婚に向いていないのだ。


そんな彼らも、いつか必ず、結婚とは責任が伴うもの、夫婦とは積み重ねていくものだ、ということが分かるはずだ。いや、そうあってほしい。なぜなら、こどもができたら困るからだ。

こどもは、わがままな王様だ。すべての愛を独占したがる王様だ。独占しょうとする親と子が対立すれば、結果は目に見えている。最近のこどもの虐待事件は、こんなところで発生しているのではないのか?

はたして彼らは、事件や離婚という代償と引き換えに、成長していくのだろうか?いや、それより、なにより「結婚制度」そのものが崩壊し、新たな男女関係や子育てが求められているような、そんな気がしてならない。

きっと、現「結婚制度」は、すでに終わってしまった、古い制度なのだ。男女は結婚するものという常識は、いまの社会の現実をを観れば、もうすでにないように思えるのだ。

それもそれ、広東省、普寧市当局で、「ひとりっこ政策」を破って、2 人以上の子供をつくった夫婦には、輸精管や卵管などを強制的に結紮(けっさつ、結んじゃう)手術されちゃうらしい。

結婚とはなんなのか?どうしても、結婚しなければならないのか?「人口」って?

⇒愛のラブタイム・How to the Sexual health care.