●自然即神
その昔、「自然即神」。そんな考え方が普通にあった。しかし、いまはない。なぜなくなったのか?
その原因は「男」だ。男は、そもそも「ライオンのタテガミ」で、つまりは、女を引きつける「虚勢・ギャンブル(Gamble)」に過ぎない存在なのだ。
男には、自然という実体がトンとつかめない。それに対して「女」は、生理といい、妊娠、出産、子育てといい、女は、自然そのものなのだ。
そんな自然をカラダで認識できない男に、少なくともここ四千年、実権をユダネテしまっていた。その結果が、このザマだ。母なる自然を、ここまで破壊しつくしてしまった。そして、まだそのタテガミの示威行動は続いている。
男には、自然なんて、どうでもいいことで、つまり、自然は、自分のカラダ自身なんだという認識なんて、サラサラない。男にとって重要なのは、女を引きつけ、あわよくば、妊娠させ、自分のDNAを繋ぎたいという「虚勢」なので、死ぬまで、張り続ける。実に、単純で、ヤッカイな生きものなのだ。
⇒男の道楽と女の嘆き
This blog gropes for how of nature for relations with the person.ヒトは、自然を失えば、すべてを失う。
2011年12月11日日曜日
2011年12月1日木曜日
結婚なんていらない!
●結婚制度の崩壊
いま中国には、「閃(せん)婚族」とか、「閃(せん)離族」という言葉があるんだそうで、「閃光のごとく、すぐに結婚し」、「閃光のごとく、すぐに離婚する」らしい。
疾風(はやて)のように現れて、疾風のように去っていく。月光仮面か(笑)
70年代後半から始まった、ひとりっこ政策のこどもたちが成人し、結婚しては、離婚を繰り返しているらしい。ひとりっこ政策で、結婚して子供をもうけるのはいいけど、離婚して、再婚して、また子供をもうけて、また離婚して・・・
そんな事してたら、ひとりっこ政策の意味なかったんじゃないの?そう想ってしまうのだ。
ひとりっこだから、親の愛情を一身の受けて育っちゃった。
ひとりっこたちは、愛は受けるもの、独占するものだと、どうやら考えているらしい。
結婚に伴う、責任や義務は負いたくないし、必要な我慢も出来ない。だいたい、相手を思いやるココロが、まったく育っていない。そんなもの育てる必要もなく、みんな親がやってくれたからだ。
わがままさえいっていれば、何事も親が与えてくれる。わがままは一人前に覚えて、自己主張だけはできるけど、相手のいうことやキモチなど、とんと解らない。いや、解ろうというキモチさえない。
こんなのは、煮ても焼いても食えない。そもそも、彼らは結婚に向いていないのだ。
そんな彼らも、いつか必ず、結婚とは責任が伴うもの、夫婦とは積み重ねていくものだ、ということが分かるはずだ。いや、そうあってほしい。なぜなら、こどもができたら困るからだ。
こどもは、わがままな王様だ。すべての愛を独占したがる王様だ。独占しょうとする親と子が対立すれば、結果は目に見えている。最近のこどもの虐待事件は、こんなところで発生しているのではないのか?
はたして彼らは、事件や離婚という代償と引き換えに、成長していくのだろうか?いや、それより、なにより「結婚制度」そのものが崩壊し、新たな男女関係や子育てが求められているような、そんな気がしてならない。
きっと、現「結婚制度」は、すでに終わってしまった、古い制度なのだ。男女は結婚するものという常識は、いまの社会の現実をを観れば、もうすでにないように思えるのだ。
それもそれ、広東省、普寧市当局で、「ひとりっこ政策」を破って、2 人以上の子供をつくった夫婦には、輸精管や卵管などを強制的に結紮(けっさつ、結んじゃう)手術されちゃうらしい。
結婚とはなんなのか?どうしても、結婚しなければならないのか?「人口」って?
⇒愛のラブタイム・How to the Sexual health care.
2011年9月6日火曜日
★「地球市民」の時代が来た!
ひぐらしセミ
ちょうど、今頃の季節、子どものころ、ひとり、山に登り、その下山途中で、夕立にあいました。あたりは、すっかり暗くなり、時折、雨と風がたたきつけます。
そんな中、まわりの森から、何百ものオバケが、「ケケケッケッケェ-ッ」と叫びながら、遠くになったり、近くになったり、また、頭の上を襲来します。左からも、右からも。後ろからも、わたしに向かって、飛びかかってくる。姿は見えません。怖ろしいの、なんのって。
ちじみ上がって、カラダがガタガタ震えて、いや、走ったのなんのって。あんなに早く走って逃げたのは、あの時以来、記憶にありません。
夕立が去って、まわりが少し明るくなってくると、正気をとりもどしました。「あれは、一体なんだ?!」頭がおかしくなったのか?それとも幻か?それから、しばらくの間、その正体が解らず、日が過ぎていきました。
そして、まもなく夏休みも終わろうというころ、突然、その解答がひらめきました。こいつだ。
●オバケの思い出
●オバケの正体
●おカネ主義と自然主義
●不信と信頼
●持続可能なシステムへ
⇒★「地球市民」の時代が来た!
ちょうど、今頃の季節、子どものころ、ひとり、山に登り、その下山途中で、夕立にあいました。あたりは、すっかり暗くなり、時折、雨と風がたたきつけます。
そんな中、まわりの森から、何百ものオバケが、「ケケケッケッケェ-ッ」と叫びながら、遠くになったり、近くになったり、また、頭の上を襲来します。左からも、右からも。後ろからも、わたしに向かって、飛びかかってくる。姿は見えません。怖ろしいの、なんのって。
ちじみ上がって、カラダがガタガタ震えて、いや、走ったのなんのって。あんなに早く走って逃げたのは、あの時以来、記憶にありません。
夕立が去って、まわりが少し明るくなってくると、正気をとりもどしました。「あれは、一体なんだ?!」頭がおかしくなったのか?それとも幻か?それから、しばらくの間、その正体が解らず、日が過ぎていきました。
そして、まもなく夏休みも終わろうというころ、突然、その解答がひらめきました。こいつだ。
●オバケの思い出
●オバケの正体
●おカネ主義と自然主義
●不信と信頼
●持続可能なシステムへ
⇒★「地球市民」の時代が来た!
2011年9月1日木曜日
ガイア・自然が願う、その目的と考え
秋、田んぼは、金色のカーペット。おなじみの美しい日本の情景。でも、田んぼって、大変なんですよ。春も早い内から、田起こし、水入れ、代(しろ)かき...、汗して、秋になって、やっとこれです。
ともかく、世話がかかります。生きものですので、解っているようで、解りません。過去は、こうだったから、必ずこうなるって訳ではありません。解らない、なんで?ってことは、ショッチュウです。
自然を受け入れ、育(はぐく)むことは、容易ではありません。でも、わが子のようで、とても楽しく、愛(いと)おしく、収穫の喜びは、なにものにも、変えがたいものがあります。収穫物が、キラキラ輝いてみえます。
自然こそ自分。自分こそ自然だと、思える瞬間です。生きている喜びに、感謝したくなります。それが収穫祭です。自然を受け入れることは、自分を受け入れることなのです。
●収穫物が輝いて
●自然は、ワンタッチではない
●自然の意志とヒトの意志の違い
●緑・グリーンは、生きもののベース・基礎
●奇跡の星の、奇跡の生きもの
●生きものの法則を学ぼう
●自然(ガイア)の目的と共通の目的をもとう!
ヒトは、怠惰を求める生きものです。「より便利に・使いやすく」は、怠惰(たいだ)を生みだします。そして、怠惰は、「腐敗⇒不信⇒戦争」へと流れていきます。いま、わたしたちが体験している現実は、「より便利に」を追及してきた結果です。
⇒ガイア・自然が願う、その目的と考え
2011年8月27日土曜日
★自然と共通の目的をもとう!
むかぁし むかし、土間(どま・地面と同じ扱いの屋内の部屋)に、竃(かまど・ご飯を炊く場所)というのがありました。
みんな土できていましたので、秋になると、いろいろな、コオロギの合唱がはじまります。
その合唱を聞きながら、眠りにつきます。
●コオロギって知らない?
●象なんて、いなっくっても
●過去は、未来よりも豊かである
●ヒトは、なんにもしていない
●服従させよと、神の命令?
●自然との闘いの日々
●「東京」へ行こう!は終わった
●自然を受け入れるのは苦しい?
●自然と共通の目的をもつ
私「あれは、なんというコオロギ?」、母「ミツカド」。
私「あれは?」、母「オカメかな?」。
私「あれは?」、母「知んない…もう、早く寝なさい!」。
コオロギってなに?って、聞かないでくださいね(笑)
コオロギも、説明しなければならない時代になってしまいました。
それだけ、失ったものの多さに、気づいてくださいな。
⇒★自然と共通の目的をもとう!
2011年8月14日日曜日
★たまには、逆さに見てみよう?
たまには、天地、逆さに見ることも大切ですよね。この世ならざる風景や、遠く離れた未来が見えるかも…
●股のぞきって?
●月は、表側だけ?
●ゴリラの死?
●パンドラの箱から何が?
●「お金」から「種」へ?
●わたしたちの責任?
アブラムシのアクビでした。あ、違った。アブラゼミから、お願いがあります。雨に流された、放射性物質(死の灰)が、土中に浸(し)みこんで、こどもたちが危険です。こどもを産み、育てるという、基本的な幸せまで、奪わないでください。
今年は、お友だちが少なくて、淋しいです。でも、ここんとこ、暑さが戻ってきて、少し元気です。頑張ります!ジ―ッ!
⇒★たまには 逆さに見てみよう!
●股のぞきって?
●月は、表側だけ?
●ゴリラの死?
●パンドラの箱から何が?
●「お金」から「種」へ?
●わたしたちの責任?
アブラムシのアクビでした。あ、違った。アブラゼミから、お願いがあります。雨に流された、放射性物質(死の灰)が、土中に浸(し)みこんで、こどもたちが危険です。こどもを産み、育てるという、基本的な幸せまで、奪わないでください。
今年は、お友だちが少なくて、淋しいです。でも、ここんとこ、暑さが戻ってきて、少し元気です。頑張ります!ジ―ッ!
⇒★たまには 逆さに見てみよう!
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